アレクサンドロス大王の東方遠征
前334–前324
前334年のヘレスポントス渡航から前324年の帰還まで、アレクサンドロスがアケメネス朝領、中央アジア、インダス方面へ進軍した遠征である。前336年の即位と前323年の死は範囲外とする。

- 年代
- 前334–前324
- 種類
- 探検
- 地域
- ヨーロッパ, 中東, 中央アジア, 南アジア
- キーワード
- マケドニア · アケメネス朝 · 東方遠征 · ヘレニズム · 後継者戦争
出来事をたどる · 4つの局面
背景
フィリッポス2世が整備した軍とコリントス同盟を継いだアレクサンドロスは、前334年にアジアへ渡った。マケドニアの覇権、ペルシアとの対立、富と名声への希求が遠征を支えた。
- ピリッポス2世は軍制と王権を強化し、マケドニアをギリシア世界の有力国へ押し上げた。
- 長槍を用いる密集歩兵と騎兵の連携が、遠征軍の機動力と打撃力を支えた。
- 父の死後に王位を継いだアレクサンドロスは、反乱を抑えて東方遠征を引き継いだ。

経過
グラニコス、イッソス、ティルス、ガウガメラを経てペルシア中枢を制圧し、中央アジアとインダスまで進んだ。プトレマイオスは軍の将校として参加したが、兵の拒否後に西へ戻った。
- 前334年にヘレスポントスを渡り、小アジアからアケメネス朝領内へ進軍した。
- グラニコス、イッソス、ガウガメラで勝利し、ペルシア王権の中枢へ到達した。
- ティルス包囲や中央アジアでの戦闘を経て、軍はインダス川流域まで進んだ。

結果
遠征軍は前324年にスサへ戻り、広大だが統治の定まらない帝国を残した。前323年の王の死後、プトレマイオスら後継者が領土を争い、ヘレニズム諸王国が形成された。
- 長期遠征に疲れた軍はさらなる東進を拒み、過酷な帰路をたどった。
- マケドニアからエジプト、イラン、中央アジアに及ぶ広大な支配圏が生まれた。
- 前323年の急死後、明確な後継者を欠いた帝国は将軍たちの争いへ入った。

歴史的意義
征服は東地中海から西・中央・南アジアを結ぶ人、物、知識の移動を拡大した。一方、各地の抵抗と継承争いは、征服と安定した統治が同じではないことを示す。
- 後継者戦争を通じて、プトレマイオス朝など複数のヘレニズム王国が成立した。
- 都市と宮廷を介してギリシア語文化と各地の伝統が接触し、新しい交流圏が広がった。
- 急速な征服は広域を結んだ一方、個人の軍事的権威に依存する統合の脆さも示した。

関連人物
関連する出来事
前359年〜前336年
ピリッポス2世のマケドニア覇権

軍制改革と外交によって王国を強化し、アレクサンドロスの遠征を可能にする基盤を築いた。
前336年
アレクサンドロスが王位を継承

ピリッポス2世の死後、若いアレクサンドロスが王となり、国内外の反対勢力を抑えた。
前334年〜前324年
アレクサンドロスの東方遠征
現在の出来事

マケドニア軍がアケメネス朝を破り、東地中海から中央アジアとインド北西部へ進出した。
前323年
アレクサンドロス死去

バビロンで急死し、広大な帝国は後継者をめぐる将軍たちの競争に直面した。
前301年
イプソスの戦い

後継者諸軍の決戦により、アレクサンドロス帝国の再統一が遠のき、諸王国の分立が固まった。


