太平天国の乱
1851–1864
洪秀全の太平天国は1851年の金田蜂起から勢力を拡大し、南京を首都とした。清朝は地域軍を動員し、1864年の南京陥落で反乱の中心政権を滅ぼした。

- 年代
- 1851–1864
- 種類
- 反乱
- 地域
- 東アジア
- キーワード
- 太平天国 · 拝上帝会 · 金田蜂起 · 南京 · 湘軍 · 淮軍
出来事をたどる · 4つの局面
背景
人口増加、移住、行政・財政の弱体化、華南の社会・集団間対立が不安定化を進め、キリスト教に由来するが独自に再構成された拝上帝会が反乱の組織的・宗教的核となった。
- 人口増加と移住が華南の地域社会に圧力を加えた
- 行政・財政の弱体化と集団間対立が不安定化を深めた
- 独自に再構成された拝上帝会が組織と信仰の核になった

経過
太平軍は広西から長江流域へ進み、1853年に南京を占領した。長期戦の末、曾国藩が築いた湘軍などの地域軍が清側の反攻を主導した。
- 1851年の金田蜂起から太平軍が勢力を広げた
- 長江流域へ進み、1853年に南京を首都とした
- 長期戦の末、湘軍などの地域軍が清側の反攻を主導した

結果
南京は1864年に陥落し、長江下流域には都市・農村・経済基盤の甚大な破壊が残った。個別地域の被害は確認できるが、総死者数は確定値を置かない。
- 1864年の南京陥落で太平天国の中心政権が滅んだ
- 長江下流の都市・農村・経済基盤に甚大な破壊が残った
- 被害は広範だったが、総死者数を単一の確定値にはしない

歴史的意義
清朝が反乱鎮圧のため地方エリートの軍事組織に依存したことで、湘軍・淮軍型の地域軍は1864年後も影響力を保った。ただし後代の軍閥化を単線的に決定したとは述べない。
- 清朝は地方エリートが率いる軍事組織への依存を強めた
- 湘軍・淮軍型の地域軍は戦後も政治的影響力を保った
- 後代の軍閥化をこの反乱だけの必然的帰結とはみなさない

関連人物
関連する出来事
1840年〜1850年
華南の不安定化

人口移動、行政・財政の弱体化、地域社会の対立が反乱前の華南を不安定にした。
1844年〜1850年
拝上帝会の形成

キリスト教に由来する思想を独自に再構成した運動が、広西で信徒と組織を広げた。
1851年〜1864年
太平天国の乱
現在の出来事

1851年の金田蜂起から太平軍が長江流域へ進み、南京を中心に清朝と戦った。
1853年〜1864年
長江下流域の荒廃

長期の戦闘によって都市、農村、流通網が破壊され、多くの住民が移動を強いられた。
1864年
地域軍の影響力

鎮圧を担った湘軍・淮軍型の組織は、1864年後も清朝の軍事と政治に影響を残した。
参照資料
- The Taiping RebellionThe Cambridge History of China反乱の発生、南京を中心とする戦争、清側の鎮圧をたどる研究章。
- The Taiping Heavenly KingdomAcademy of Chinese Studies金田蜂起から南京陥落までの主要局面を図版とともに概観する資料。
- Christian Influence upon the Ideology of the Taiping RebellionThe Journal of Asian Studies拝上帝会と太平天国の宗教思想におけるキリスト教由来の要素を検討する研究。
- The Regional Army in the Late Qing DynastyJournal of Institutional Economics反乱鎮圧で台頭した地域軍の制度的役割と清末への影響を扱う研究。




