
肖像: AI生成による想像肖像
マリ・キュリー
物理学者 · 化学者
- 生没年
- 1867–1934
- 出身地
- ポーランド
- 出生時の国・政体
- ロシア帝国支配下のポーランド立憲王国
- 時代
- 近代
- 分野
- 科学
- 肩書
- 物理学者 · 化学者
パリで極貧の学生生活を送りながら研究を続けたマリ・キュリーは、ピエールとともにポロニウムとラジウムを見いだし、放射能研究の新領域を切り開いた。第一次世界大戦では自らX線撮影車を前線へ運び、研究室の発見を負傷兵の診断へ結びつけた。
カタログで見る
肖像: AI生成による想像肖像
物理学者 · 化学者
パリで極貧の学生生活を送りながら研究を続けたマリ・キュリーは、ピエールとともにポロニウムとラジウムを見いだし、放射能研究の新領域を切り開いた。第一次世界大戦では自らX線撮影車を前線へ運び、研究室の発見を負傷兵の診断へ結びつけた。
カタログで見るワルシャワ
出生
パリ
活動
ポロニウムの発見
1898
発見
ラジウムの発見
1898
発見
地図: Natural Earth (PD)
1867年、ロシア支配下のワルシャワに教師の家庭の末子として生まれる。当時のポーランドでは女性が大学に進学できなかったため、家庭教師として学費を蓄え、1891年にパリのソルボンヌ大学へ。極貧生活の中で物理学と数学の学位を取得した。
夫ピエールとともに1898年にポロニウムとラジウムを発見し、「放射能」という概念と用語を確立した。1903年にノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞を受賞。ソルボンヌ大学初の女性教授となり、ラジウム研究所を設立して放射線医学の礎を築いた。
第一次世界大戦では自らX線撮影車「プチ・キュリー」を運転して前線を回り、負傷兵の診断を支えた。ラジウム精製法の特許取得を拒み、研究成果を人類共有の財産とした。愛用した実験ノートは今なお放射線を帯びており、鉛の箱で保管されている。
彼女の研究とラジウム研究所の活動は、放射線医学、がん治療、原子核研究へ続く制度的な基盤を築き、20世紀科学の進路を変えた。二つのノーベル賞を受けた女性科学者の先例として、教育機会の壁を越えようとする後進の象徴となり、パンテオン合葬や娘イレーヌの受賞を通じても長く記憶されている。
死因は長年の放射線被曝によるとされる再生不良性貧血。元素キュリウム(Cm)と放射能の単位キュリー(Ci)に夫妻の名を残す。